2011年 06月 15日
伊達正宗公の 青葉城よりご報告 伊達の殿様の立像から 眼下を見下ろすと 100万都市仙台市の 威容が見て取れる そのビル群の奥に 黒っぽい帯が見える それが海岸戦を襲った 津波の傷跡だ! 田原市民と たはらしみん震災支援ネット 皆さんの心からの 支援物資を満載し 藤城運輸のご厚意による 冷蔵4トン車で 6/14(火) 20:20 田原凧保存会の3名 仙台市に向け出発! 7:30仙台市若林区 物資集積所に到着 第1便(4/20~21)の 集積所:仙台市泉区は 被害のない地区だったが 若林区は海岸に近く 周辺の歩道は 波打っているところが多い 多くの物資を抱えながら 契約上拠点を移動する 大変な苦労だが それを乗り越え継続する この組織の偉大さに驚きだ! 8:30集積所に 現地スタッフの皆さんと キャベツ・甘夏・スイカ トウモロコシ・玉ねぎ等 物資を降ろす 以前の倉庫と違い 敷地は狭い 物資の種類に分けるが すぐに山積みとなる 駐車場は隣の 運送会社と共同使用 神経を使う拠点だ この集積所は 「日本国際飢餓対策機構」が 運営する民間の自主組織だ 母体はキリスト教会 世界の災害現場に駆け付け 手助けする素晴らしい組織だ 自前のトラックに 物資を積み込み 被災地へと走る 今日も15名余の若者が 陸前高田市に走り 支援活動を行う 内部にはスコップ等の 作業道具が積まれている ベットもあり6人まで 泊ることができる その車内に 我々が持参した物資 キャベツ・玉ねぎ・トウモロコシ 甘夏・スイカ等が 積み込まれ・・・出ていた 出発前の記念撮影 頑張ってと思わず 声がでた! 今回しみん支援ネットが 支援に動くきっかけは 加藤牧師の現地からのSOS その娘さんも現地にて活躍中 物資の前で記念撮影後 持参した物資を車に満載し 本日の支援場所:南三陸町に 飛んで行った この集積所には 自宅に戻った人 仮設住宅に入った人等 公的な援助がなくなった人が 三々五々物資を求めに来る うわさが広がり 今では駐車場問題が 発生するほどのニギアイ 我々も居場所がなく 宿となる「茂庭荘」に 早めに向かった その後 仙台凧の会:濱弘二会長の ご案内で仙台市若林区 荒浜地区の被災地を車で走った 仙台東部有料道路の 海側は壊滅状態 今でも車が横たわっている 昼食後六郷中学校へ 中学校には東六郷小学校の 約50名が間借りし授業をしている 中学校の隣にある 六郷小学校でも東六郷小学校と 合同授業しているようだ 東六郷小学校は高速道路の 海寄りの小学校 いまだに復旧できていない 写真は地元の河北新報社が 発行した緊急写真集より 若林区荒浜地区の現状写真 六郷中学校には 小学校の校長先生始め 地区総代さんらが迎えてくれた 仙台凧の会からは 濱会長・武田・鵜飼両会員 3名が参加 御挨拶する武田会員 (リュック背負っているのは 田原の酒井修さん?) その後小学校の皆さんに 田原凧をプレゼント さらに全国から頂いた 小凧を生徒にプレゼントしていた 酒井修さんが 六郷中学校に 3日前から仙台市付近に ボランティアに来ていると 本日はお休みをもらい やって来たと・・・ (凧づくりの指導を しておけばよかった?) 早速揚げ糸を付け グランドへ 快晴凧風なれど 中学校の校舎は4階建て すぐ前のグランドでは 風が乱れる 上手く揚がった凧も 乱れた風に対応できず 揚がって歓声 落っこちて歓声と 子供たちの元気な声が 校舎に木霊する 震災後3ヶ月 子供たちの元気な笑顔に ホッとしました 3ヶ月たち やっと元気になりましたと 先生のお話し 隣の体育館には 多くの人が避難生活を している現状がある 運動場の半分以上が 避難者の駐車場 となっている 東六郷小学校の 生徒との凧揚げ後 仙台凧の会の皆さんと もう1件凧プレゼントしていこうと 六郷市民センターを訪問 そこには1年から3年生の 児童保育の約90名が 集まっていた 突然の訪問だが 田原凧と全国の凧プレゼントに 大喜びの子供たち 仙台凧の会の皆さん 濱会長・武田さん・鵜飼さん そして当初から 凧の段取りならびに 宿舎までご手配いただいた 遠藤さんに感謝! 夕食をともにし 被災後の厳しい現状の中で 仙台凧の会が 凧・絆プロジェクトに 取り組むお話を お聞きすることができ 有意義な時間となりました 仙台凧の会の皆さんに感謝!!! ありがとうございました!
by takoaosu
| 2011-06-15 08:34
| 田原凧保存会
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