2010年 06月 11日
七、後記 筆者は、大野宮司のもとで靖国神社に奉仕した経歴を持つ者である。 客観的な記述の為とは言え、尊敬する上司を呼び捨てにすることは心苦しかったし、 その無礼は、お許しいただきたい。 本稿は、「虎乗り鐘馗」画の年賀状にまつわる、戦中世代の関わりについて、 ご本人の回顧をもとにまとめたものです。 私自身、資料を読みながら、当時のことが数多く思い出されたと共に、 書き記して残すべき事柄がまだまだあるとも感じている。 今回は、縁起を記録すること、それを第一に考えて書いたつもりであった。 しかし、その中に人として大切な事柄、思いやりや信頼をそして約束などが、 日本人らしい情緒を背景に表れているように思う。 手本として見習う人間像なのだ。 「戦死して靖国の神になるのではない。己の死を覚悟して飛び立たんとする時、 すでに神であった。」靖国神社宮司であった当時、大野が何度も繰り返した言葉である。 「生きたい」とする生命欲は、人間の数ある欲望の中でも最大最強のものである。 その強大な欲望に打ち勝って、国難の打開の為にひたむきに訓練を重ねて、 死んでいった青年達。 その姿や心を、己の心に刻んで懸命にそれぞれの職務に励んできた 大野や岸田の世代によって、戦後の日本の奇跡の復興はもたらされた。 「戦争で死んでいった兄弟や先輩、同僚のことを思えば、これしきの苦労など何ほどのことか」 大野たちの世代が共有する意識、同世代としての連帯感を、次の世代の日本人は持っていない。喜びや悲しみを共にしたいとする心情に 強弱があるとすれば、戦後の日本人は確実に、その心情が弱くなってきたいる。 それどころか、他人の感情がわからないことを恥じ入る気持ちすら失ったかのような日本人さえ現れた。 家族や会社、地域社会とあらゆる場面での人間関係の希薄化。 個人主義による繋がりの弱さこそが、子の虐待などの社会問題の根源にある。 だからこそ、大野や岸田の世代に学ばねばならないのだ。 日本の風土によって培われてきた日本人らしい情緒があってこそ、日本人としての道義は互いの中に確認し合えることを。 そして、その道義あってこそ、勝手気ままな利己主義を許さなかった日本の家庭があったことを。 平成22年5月 志波彦神社・鹽竈神社 禰宜 野口次郎 (写真は、岸田哲弥氏作 「龍虎」 展示:田原まつり会館 所蔵:凧す)
by takoaosu
| 2010-06-11 08:57
| 田原凧保存会
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